アッサラームアレイクム(あなた方の上に平安がありますように。)


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アフリカ開発の問題


 アフリカの国数は54過酷であり、その全体の面積は世界の22%となっている。
一方総人口は9億人ぐらいで世界の14%となっている。
したがって、他の大陸と比較すればアフリカの人口は少ない現状にある。
また、アフリカ大陸のほぼ中央を赤道が通っており、大陸の半分は日本と同じ北半球にある。
気候のついては湿度が低いので砂漠の地域を除けばいがいに過しやすいと考えられる。
アフリカは、農業に加えて、天然ガスや石油はじめ、豊富な資源で恵まれている。
ただし、多くのアフリカの各国は、輸出収入の大半を依存する鉱物資源は国際市況に強く左右される。
また、鉱業と共にアフリカ経済の柱を形成している農業は、降水量など自然条件に依存している。
このため、アフリカでは、外部環境の変化により、成長率が大きく影響される。
この不安定さそのものがアフリカ経済の停滞の原因であるといえる。
また、 50年前、アフリカと東南アジアを比較した場合、アフリカの方が、より発展性があるとの見方が多数を占めていました。
アフリカの資源の豊富さ、適度の規模の人口が注目されていたのである。
しかしアフリカは東南アジアや南米の諸国のように発展されない。
その原因として、一般的に、①部族社会で構成され、国家という意識が希薄なため、有効な政策実施が困難であること、②開発のための経済的、社会的インフラが整っていないこと、③産業が価格変動の大きな一次産品の生産に依存していること、④再投資への資金配分の不足していること、⑤紛争の多発していることなどによってアフリカが発展されないと言われている。
しかし、程度の差はあれ、これらの要因は途上国一般に見られることであり、決してアフリカに限定された要因ではない。
そこでアフリカの成長が阻害される要因を、理解するには、現代のアフリカだけをみていても判らない、いくつかの歴史的現象を知る必要がある。

読み書きできない問題


アフリカの多くの地域で、数100年前まで無文字社会であったことだ。
そこで、アフリカの人たちは、図像、音声、身体表現などの他のコミュニケーションの手段を持っており、文字を必要としなかったともいえる。
文字が使われないということは、法律や決まりごとは全て人の頭のなかにあるということであり、歴史も紙には書かれないということである。
これは多くのアフリカの社会で今でも少なからず規定している。

奴隷貿易


奴隷貿易は15世紀から19世紀の間盛んとなった。
最初、ヨーロッパ諸国における奴隷貿易は、15世紀から16世紀のポルトガルには多くの奴隷が連れてこられていた。
同時にコロンブスが発見した大西洋の反対側の新大陸へ、このルートを使ってアメリカに奴隷が連れていかれた。
奴隷貿易がはじまった15世紀から中止された19世紀中ごろまでにおよそ2千万人のアフリカ人が奴隷としてアメリカに送られたといわれる。
奴隷貿易がアフリカ社会に与えた影響は計り知れない。
たとえば、アメリカやヨーロッパに奴隷として送られたアフリカの人が若い労働者ばかりだった。
さらに、技術をもった莫大な人的資源が失われたため、多くの伝統的な技術がその発展を止めてしまった。
特に、アメリカに面した西アフリカ地域ではその影響が大きい。

植民地時代


奴隷貿易に加えてアフリカ社会に打撃を与えたのが植民地支配である。
奴隷貿易を通して、アフリカ大陸の情報を得たヨーロッパ諸国は徐々にアフリカに対する経済的支配を強めてきた。
1885年のベルリンの会議でヨーロッパ諸国はお互いの権益を守るために、アフリカにおける支配地域をかってに分割した。
こうした植民地分割が、現代のアフリカの国境線のもとになった。
机上で国境線を引いたため、それぞれの植民地の中には、違う言語を話し、違う民族だと互いに思っている人々が混在している。
また、別の国に同じ民族が分かれて住む状況が生じることにもなった。
この国境問題は、戦争の主要な内容となっている。
ところで、ほとんどのアフリカの諸国は、1950年代・1960年代に独立を果たしましたが、独立後ほぼ 50 年を経た今日においても、グローバリゼーションの恩恵に浴することなく、依然として貧困にあえいでいるのが現状にある。
これから、アフリカが更なる経済的な発展するには、政治的に自律し、経済的に発展し、文化・民族的に独立を保ちながら国家を運営して行く方法しかないと考えられる。
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